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私は、BPDや躁鬱病を「持っている」とういう言い方にどうしようもなく違和感を感じてしまいます。
「糖尿病を持っている」という言い方にも違和感を感じないではないですが、身体疾患の場合は、主体から見ると身体は客体の位置にあるので、まだ許されます。
逆に言えば、BPDや躁鬱病を「持っている」と言う時には、その背後に、それらを第一義的に身体疾患つまり「脳病」と捉える、という哲学(むしろ信仰)が存在しているのです。
主体の在り方=「こころ」というものは、直接目には見えません。脳は直接目に見える臓器です。従って、BPDや躁鬱病をその直接目に見える臓器の故障として捉えようとする姿勢を、実体化/具象化と呼んでいます。逆に、実体化/具象化しない、というのは、問題を直接は目に見えない主体の在り方として捉えようとする姿勢を指しています。
(そのように捉えた時の、「病むこととは何か」ということについては、本HPの『疾患論』などをご一読頂けましたら幸甚です。)
これも一つの哲学/信仰だと言われれば、確かにそうかも知れません。しかし、私の見るところでは、これらが第一義的には主体の在り方の問題だという考えを支持する知見もかなり出揃って来ているように思っています。
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