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僕と路未っちの語らいの場所になってしまいました。こんばんは。先輩です。
短編。読みましたよー(街路樹ですよね? パソコンからでも見れました)。僕はすっかり心が汚れてしまった人間なので、素人さんのお話をうまく評価することができません。どうしても重箱の隅ばかりが気になってしまうのです。心のちっちぇえ人間です。もっとアバウトに、目に見える部分だけでなく見えない部分を重点的に汲み取れるようならばいいんですけど。文術部時代からこの傾向はどうしようもなかったからなぁ。
短編っていうか、掌編ですかね。
僕は尾崎豊に対して盗んだバイクで走り出した人というくらいの認識しかないのですが、でもこの主人公はなかなか立っていると思いました。手を洗わないとどうしようもない、という特徴にオリジナリティを感じます。経験談だそうですが。「僕の手はよく洗っているのによく見ると汚い」という辺りが、(『よく』が同じ文の中に二回出てくるのはうまくない、という重箱の隅つつきを無視すれば)対比があっていい感じです。しかもそれが、洗いすぎによるアカギレが原因、というのが皮肉でいいです。
ところで、なぜおばさんは主人公に大切な(ですよね?)ギターをあげてしまったのでしょう。
また、それをなぜ主人公は受け取ったのでしょう?
多分それらは主人公の「洗っているけど汚い、しかしおばさんはキレイだとほめた手」に関係するのだと思いますが、その手が何を表現するのか、僕には読み取れませんでした。きもいと言われたこと、褒められたこと、街路樹に向かって深呼吸したこと――ヒントっぽいことは結構あるのできっと読み取れる人には読み取れるレベルのメッセージだと思うのですが(僕はモノ書きを名乗っているくせに読解力が低いのです)、それってなんでしょう?
あと、やっぱり最後も主人公は手を洗ってからギターを弾きに行くわけですが、これって手を洗わずにギターを弾きに行ったほうが、主人公の成長を描けるのではないでしょうか。いや、手を洗うことの意味がわからないので、それをやめることが成長になるのかはわかりませんが。
ちょっと長くなってしまいましたが、そして微妙にくどい文章になってしまいましたが、たまにはいいよね。にゃん。
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